担当という言葉

完全なる自分の記録です。



じゃにおたにとっての「担当」って言葉は100人いたら100通りの捉え方があるんじゃないかと思います。



私は「担当」って言葉は「じゃにーず」の「あいどる」に対して有効である、という捉え方です。



夏にはし担宣言をした私は今もとってもとっても赤西君のことを好きで、そんなんだったらはし担を名乗るなって思う人もいると思ますが、



もう私にとって赤西君はじゃにーずの「あいどる」ではないんです。
だから担当ではないんです。
5人のかつんがハルカナを歌ったと聞いた時と今日MTV動画を見て強く思ったので記念に残しておこうと思います。



どんなにあいどるでいたくなかったとしても、かつんというグループに所属している以上は赤西君はあいどるでした。
かつんはアイドルグループだから。
グループとしてあいどるって見られることを知っているから。



じゃああいどるってなに?となるけど、あいどるとはその一挙手一投足が「萌え」を産む存在であり、それを受け入れることができる人たちであると思います。
ダンスや歌が上手いに越したことはないけど、それはどうしても二の次というか。



赤西君はそういう意味でアイドル性の非常に高い存在でした。
今でも萌えを産むという点ではものすごくおたくの心をくすぐります。


なのにどうして私にとって「あいどる」でなくなったかというと、
彼が進もうとし、こう見られたい、という方向がもはや「あいどる」ではないからです。
彼は純粋にパフォーマンスを見せたいんだと思うし、今後それを魅せられるようになると思います。
今日のパフォーマンスは今の彼が見せられる本当に素晴らしいものでした。

その下地が「あいどる」の赤西だったとして、今後も「あいどる」である必然性はないんだなーと再度実感しました。


大好きだからこそ彼が望む形で応援したいので、じゃにーずに所属しているとってもかっこいい「人」として見続けていきたいと思います。
ちょっとした仕草とかで上がる歓声はこれまでと一緒でいいけど、
彼のダンスや歌のかっこよさで歓声が上がるステージに立ち会いたいと願っています。


じゃにーずってあいどる事務所だぜって考えもあるけど、
アメリカでの模様や作る曲や声を耳にするたびにひょっとしたらひょっとしてしまうんじゃないかという期待も込めてその考えはいったん横に置いておきます。


こんだけ重い感じで好きなこと自体が「担当」なんだって思う人だっていると思います。
好き嫌いに関わることはどんな事柄だって人の主観が全てだと思うので、そういう人にとっての私は赤西担でいいと思います。




そして、以前書いた私の「担当」の条件にあてはまりすぎるくらいにあてはまるのが橋本君なのです。
華があってかわいくてかっこよくてあほなあいどるは私にとって最強です。
そして見るたびに確実に成長している様も私の心を摑んで離しません。
近々お目にかかれるのを楽しみにしています。